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甲州街道はもう秋なのさ

東京弁でこんにちは

実は僕は普段 デザイン事務所なんかやったりして
寝る暇もないくらいけっこう忙しくしてるんだけど
そんな忙しく疲れたと時に救ってくれるが
哲ちゃんのギターなんだ

東京に来た頃 アメリカンのバイクに乗って ヒッピーみたいな
かっこうして 強気でカッコいい イカしたバンドマンですぐに仲良くなった
田舎もんの僕に 日本にはすげ〜いいバンドいっぱいあるよって
横浜のTENSAWやリアルタイムじゃないけど外道や今でも日本で一番好きな
ミュージシャン加部正義(ルイズルイス加部・exピンククラウド.ゴールデンカップス)
を教えてくれたんだ

出会った頃 哲ちゃんは車もってて お互い好きだった 
RCのシングルマンやWhoをカーステレオで聞きながら 唄いながら 
甲州街道で八王子までよくドライブした

話せばきりないけど 暇さえあれば 近所の公園で米炊いて
キャンプしたり 優柔不断に遠出の旅ばかりでいつも笑ってたよ

外見とは別に 東京育ちでわりとボンだった哲ちゃんは 

ママレモンで長い髪を洗ったり 独りヒッチハイクして旅したり 
事務所に所属しながら 鳶やってたり 
アイスコーヒーは必ず氷抜き(量が増える) 
4人くらいでバンドマンどうし飯を食う時は カレーライスとライス3つとか 
牛丼つゆだくでライス3つとか スタジオ代やレコードを買うために
それが普通だと思ってた僕らにも かなり刺激を受けたみたい

当時は今みたい安い店が深夜やってなかったりして
(深夜営業は高めのファミレスか吉野屋しかなかった)

そんな哲ちゃんは 貧乏に少しあこがれていたけど
気をつかって おごってくれた
僕が聞きたい音楽があると プレゼントしてくれたり 青空の下でモクっとキメたり
バイク乗るからって ブーツやNB-1っていうフライトジャンパーくれたり

少しずれるけど 当時はそうならざるえない 
切羽つまった理由がこちらには染みついているわけで
実際いい想い出でもない だから一時期牛丼つゆだくなんてはやったけど
今でも二度としたくないし・・・だってジャンケンで負けたヤツ つゆだけで
白飯喰ってたんだ それもいつもいつも
だから 今でも貧乏遊びはしない 金があれば使うし なければ我慢する 
自分がしてきてもらったように金あれば とことんおごるよ



それから月日がたっても いらなくなった物や使わなくなった高価なものを
たびたび持ってきてくれた

僕が23歳のころ重い病に患かって どん底の気持ちで故郷の山口に帰った時も 
ギターをもって度々 東京から遊びに来てくれた 
例によって 嫌がる僕を リハビリだとか言って 米を炊きに 公園につれだして
励ましてくれたんだ

三年くらい立って 僕の病気がだんだん良くなって 東京に戻ってきた頃
逆に哲ちゃんの心が病んできたんだ 理由はあるんだろうけど
心の内をいつも聞いていたよ そしたらある日 大切にしてた
ジャコパスモデルのフレットレスのベースもってきて「あげるよ 亀は音楽やれよな
俺は 堪忍して働くよ」って 今思えば無理してたんだと思うけど 
その日から 千葉に住んで 健康的に働きはじめて たまにしか会わなくなった

しかしある時から頻繁に電話がかかるようになって 
亀はどうしてそんなに貧乏で不安はないのかとか 
年収いくらあるかだなんて 少し苦手な話ばかり
なんかあるなと思ったんで すぐに千葉に遊びにいったら
案の上 哲ちゃんは病んでて 自分が今週自宅で行おうとしたことや
極めて被害妄想的なんだけど 自己嫌悪で 出会った頃の見る影もない姿になって
いたたまれなくなったけど 逆に失礼だと思って 無理に明るくすることもなく
淡々とギターひきあったりして過ごした
僕は純粋にまた一緒に笑い会いたい一心なだけだけど
哲ちゃんは 僕の言うことを一々メモするくらい 切羽つまってた
しばらくして おかげで良くなってよって連絡あって 社会復帰にむかった
リハビリの為に山登りや 自転車競技も始めたみたいだった


でも ある日 死んだような声で連絡があった
「ここ一週間 だれとも話していない・・話せないんだ・・」

会社に行きたくても行けない はたらかないと 親に恥ずかしいとか 負け犬だとか
精一杯 声にならない声 

明日はないと思ったんで 聞くことはすべて聞いて
僕が病気の頃 励まして笑わかしてくれたように 
やわらかく心の底から説得した そして家族をまじえて 話し合った

結局 会社は休職し 「ありがとう 助かったよ」とまた連絡があった
正直うれしさより 解放された 安堵の気持ちの方が大きかった

それからしばらくして 埼玉の熊谷で演奏したとき
千葉の奥地3時間ちかく書けて 見に来てくれた
顔に色がなく 少し様子が変だったけど もう うれしくて うれしくて
心配だったけど 最後は 笑顔で別れた 

それが最後だった

僕もデザイン会社を興して4年たち バンドと徹夜続きのあいかわらず
忙しい日々 ある日着信があったので しばらくしたら かかってくるだろうと
待っていたら

次の電話で哲ちゃんの訃報を知った

馬鹿じゃ・・・・



お母さんも苦しむ姿をずっと見ていたせいか 落ち着いてた 
僕も助けられなかった後悔や口から出る恨み節とは別に
「よっぽど くるしかつたんやね 楽になったね ありがとね」
と落ち着いて見送ったよ


お母さんに会って 僕が知らない 僕らの話や
僕らと一緒に遊んでた頃の写真やたくさん見せてもらった

僕と相談して 哲ちゃんが買って ふたりで弾きあった
タカミネのエレアコをお母さんに差しだされ 形見分けとしてもらったよ


事務所で孤独に黙々と作業する僕の横に
いつもそばにいるのは このギター

スローバラードは書けないけど
おかげで いい曲がかけたよ


ねぇ 聞いてよこのメロディー
君に笑ってもらうために つくったんだか
さぁ 唄うよこのメロディー
君のために つくったんだから


今日でちょうど四年目

甲州街道は もう秋なのさ

これからも ヒッピーに捧ぐよ

カメ
 








甲州街道はもう秋なのさ_c0132052_20202910.jpg

by nishinihon-mandom | 2007-10-30 20:47 | フィンガーテク(カメ) | Trackback | Comments(0)

男汁100%ブルース!西日本マンダム


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